大判例

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大阪高等裁判所 昭和44年(ネ)1818号 判決

控訴人

株式会社高砂殿

代理人

田辺光夫

他五名

被控訴人

文化不動商事こと

柏原義之

右代理人

田宮敏元

主文

原判決中控訴人敗訴の部分を取消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

昭和四二年四月一日頃、控訴会社(買主)と南海不動産株式会社(売主)との間に、原判決末尾添付目録記載の本件土地につき売買代金を金四億〇、七三〇万円(坪当り金一五〇万円)とする売買契約が成立したことは当事者間に争いがない。

被控訴人は、右土地の売買は、被控訴人が昭和四一年一二月一〇日頃阪井進太郎を通じて初めて右物件を控訴人に紹介した時に、もしくは昭和四二年二月一三日頃に、控訴人からその周旋を依頼されたと主張するのに対し、控訴人は、これを争い、仮りに依頼したとしても、右斡旋の依頼は売買代金を坪一三〇万円とする売買を成立させることの斡旋を依頼したものであり前記売買の成立と被控訴人の仲介行為との間には因果関係がないと抗争するので、この点について判断するに、〈証拠略〉を綜合すると、次のような事実が認められる。

控訴会社は、天満高砂殿の名称で結婚式場等を経営しているものであるが、昭和四〇年八月頃、以前に天満高砂殿の建物の設計を依頼したことのある訴外Aに対し、大阪市難波方面に結婚式場建設用地として三〇〇坪程度の土地を探してほしい旨を依頼したところ、同人は、同年一〇月頃、知り合いの被控訴人に対し、控訴人の名を伏せて、難波の高島屋附近で三〇〇坪ほどの土地を探すよう依頼した。そこで被控訴人は、従業員のBに命じて適当な土地を物色させ、その報告にもとづいて数件の土地をAに推薦し、Aはその都度これを控訴会社に取り次いできたのであるが、昭和四一年一二月頃、Aが被控訴人より告げられた本件土地の件(Bが右の頃立札を見て見付けてきたもの)を控訴会社の雨積社長に伝えたところ、右土地は、たまたま、雨積社長が南海電鉄営業課に勤務するCから、南海不動産が代金坪一五〇万円であれば売る意向をもつていることを聞いたものの、売値が高いためそのままとなつた土地であつたことから、雨積社長はAに対し、右土地に関する経過を話し、この土地なら坪一五〇万円以下であれば話合いになるが、坪一五〇万円であれば、前に紹介してもらつた人があるので、話合いはできない旨を告げた。AはBに右買手側(その当時も控訴人であることを秘していた)の意向を伝えると共に、何とか坪一五〇万円以下で買えるようにならないかとの希望を洩らした。そこでBは、同業者である扇橋土地建物株式会社に勤務するDに相談し、Dの知合いのEに南海不動産との交渉の「つて」を求め、Eは、同人が秘書をしている大阪府会議員F及び知合いの開発観光株式会社社員Gに交渉を依頼した。そして、Gが南海不動産常務取締役野川順八に電話で本件土地を買受けたい旨申し入れたところ、同常務は坪一五〇万円程度であれば社内で協議してみようと答えたので、Gはその旨をEに伝え、EからDやBに対して南海不動産に売る意向のあることが報告された。ところが、Bは同月末頃Aに対して、坪一三〇万円(この金額がGからEに伝えられたとは認められず、E、D、Bのいずれかが思惑としていい出したものと認められるが、そのいずれがいい出したかは判然としえない)で買えそうだから、さらに努力する旨を伝え、Aからこのことを聞いた雨積社長は、昭和四二年二月一三日頃Aの事務所で、自身でBと初めて会い、控訴人の従業員としての同人に対し、坪一三〇万円で売買を成立させるよう斡旋を依頼した。しかるに、同日夕刻、Bから雨積社長に対し、南海不動産は坪一五〇万円でなければ売らない意向を示している旨の電話があり、同月一六日、雨積社長に呼ばれて天満高砂殿の事務所に来たBとEは、中間報告として、南海不動産は坪一五〇万円の線を出していると述べたので、雨積社長はBらに対し、代金の額につき更に折衝努力するように求め、同人らもこれに努力する旨を答えた。その翌日頃、EにうながされてCが雨積社長に会い、売買を成立させるよう求めたのに対しても、雨積社長は坪一二〇万円か一三〇万円ならば買つてもよいから、南海不動産と交渉してほしいと述べた。しかし、Bはこの件に関してはDを通じてのみ南海不動産と交渉を持ち、しかもB、D、E、C、Gらにおいて南海不動産の権限ある担当者と代金の減額につき折衝した事実は一度もなく、遂に雨積社長の申入れにより、同月二二日南海不動産において雨積社長夫妻とその娘夫婦が、B、D、E、C、Gとともに南海不動産の野川常務と直接に会い、席上、Cや雨積社長から野川常務に対し、代金を、南海不動産側から一度出たことのある坪一三〇万円とするように求めたが、野川常務は、意外の申出に憤慨した態度で、話が違う、坪一三〇万円を提示したことはない、坪一五〇万円以下では絶対に売れないと確言したので、雨積社長も、それではこの話はこれで打切りにすると発言して、会談は決裂の状態で終つた。そこで被控訴人又はBや、Dは右決裂後は南海不動産と最早それ以上の交渉を進めなかつた。ところが、控訴会社は、すでに取引銀行であるK相互銀行天満橋支店に、本件土地を坪一三〇万円で買えそうだと話して、買受資金の融資を申込んでいたので、同支店に買受を取り止めた旨を伝えると、同支店では、すでに本店の内意を得て、同年三月中に融資する計画をたて、かつ南海不動産にも控訴人から土地の売買代金が支払われるとこれを預金として獲得する工作をすすめていたので、営業年度末である三月にこの計画が狂うことを嫌い、雨積社長に、土地購入による利点をとくとともに、融資の手続は予定どおりすすめると言つて翻意を求めたため、雨積社長も遂に代金一五〇万円で本件土地を買受けることを決意し、直接南海不動産との間で本件土地の売買契約を締結するに至つた。

以上の事実が認められ、〈証拠判断略〉他に右認定をくつがえすに足りる証拠はない。そして、右認定の事実によると、被控訴人の主張する昭和四一年一二月上旬頃控訴会社からの斡旋依頼に基いて本件土地を控訴会社に紹介し、仲介行為を初めたとの事実は認められず(即ち、Aの立場は、故らに買手としての立場を顕示することを避けた控訴会社の代理人であつたとは見られず、しかも本件土地は、被控訴人がAを通じて控訴会社にその存在を告げる以前から、控訴会社において、所有者の南海不動産に代金坪一五〇万円で売る意向のあることを知つていた土地であつて、いわゆる業者による物件の「紹介」の意味を持たず、そのことは直ちにAから被控訴人の代理人Bに告げられて了解されていた)、次に昭和四二年二月一三日頃の控訴会社の申込の趣旨は、控訴会社主張のとおり、売買代金を坪一三〇万円とする売買を成立させることの斡旋を依頼した(もつとも、正確に坪一三〇万円で成立しなくても、坪一五〇万円から控訴会社の納得し得る程度の減額がみられたときは、斡旋が一部成功したものとみる余地が残されていた)もので、単純な売買成立を目的としたものではなく、しかも、この依頼にもとづく被控訴人の斡旋行為は、被控訴人代理人Bの在席していた前記昭和四二年二月二二日の野川常務との会談において売買交渉が打切られたことにより、不成功に終つたものというべきで、その後も依然として控訴人からの斡旋依頼が継続していたものと解釈すべき事情にはなかつた。そして後日控訴会社と南海不動産との間に成立した売買は、その後において、雨積社長が取引銀行からの強い働きかけにより、それまで考えていなかつた坪一五〇万円による買受(控訴人が前記二月二二日の会談までに坪一五〇万円でも買受ける考えでいたとの被控訴人の主張事実はこれを確認するに足る資料がない)を決意したものであつて、坪一三〇万円の代金額を内容とする被控訴人に対する斡旋依頼の趣旨は全く満されておらず、右売買の成立と被控訴人の右依頼にもとづく斡旋行為との間に因果関係が存在していたものと認めることのできないのは勿論、控訴人が故らに斡旋受託中の被控訴人を除外して、同人の仲介行為の成功を妨げたと見ることはできない。

もつとも、〈証拠略〉によると、Bが昭和四二年二月一六日頃天満高砂殿において雨積社長と会つた際に、同席していた控訴会社副社長雨積澄子(雨積社長の妻)がBに対して、仲介報酬を一分とすることを同人の名刺にでも書いてほしい旨を申し述べたことが明らかで、この点につき、原審当審証人Bは、同日は手数料を決めるために呼ばれたもので、そのときにはすでに坪一五〇万円でなければ買えないことがわかつていた旨を供述するが、前掲各証拠に照らすと、同日の会合が手数料を決めるために行われたとは到底認められず、雨積社長がその席で更に代金の減額交渉に努力するよう要請したことは前認定のとおりであるし、その他前認定の諸事実によると、雨積社長がその当時においても減額交渉の余地があるものと信じ、Bらもまた、同人らの努力によつては、その余地があるかのように振舞つていた(少くともその余地が全くないとはいつていなかつた)ことが推認されるのであつて、B証人の右供述は措信できず、雨積澄子が仲介報酬に関して右のような発言をしたのは、同人が原審証人として証言するとおり、坪一三〇万円で売買が成立した場合を予想し、それを前提として申し出たにすぎないものと認められ、この認定に反する〈証拠略〉もにわかに措信できない。従つて、雨積澄子の右仲介報酬についての発言は前認定を妨げるものではない。

また、〈証拠略〉によると、EとCは、前記二月二二日に野川常務との会談で交渉が打切られたのちも、屡々控訴会社や観光開発のGと連絡をとつていたこと、及び売買成立後控訴会社からCとEが二回にわたり五〇万円と三〇万円の礼金を受取つたことが認められるけれども、右のC、E等の行動は、被控訴人からの依頼ないし意思連絡に依らないものであることは、当審証人Bの証言及び弁論の全趣旨によつて明らかであり、また原審証人Cの証言によると、右は、前記交渉打切ののちCが雨積社長に翻意して交渉を続けるようすすめたのに対し、雨積社長はこれを強く拒んだが、Cがなおも執拗に南海ともう一度交渉してみるというので、勝手にしなさいと答えたのを、Cが再交渉を一任されたものと考えて動いていたにすぎなかつたことが認められるし、また原審証人雨積澄子の証言によると、控訴会社がC及びEに礼金を支払つたのは、結果的には売買の成立とは無関係な徒労に終つたか、同人らのとつた斡旋の労に対し好意的に礼金を支払つたものでその一部は、事実上B(ないしは被控訴人)やDにも渡ることを期待していたことが認められるのであつて、右各証拠もまた、取引銀行の意向に動かされて控訴会社が翻意し、本件土地の買受を決意したとの前認定を覆えして、交渉打切後の小西らの仲介行為いわんや被控訴人のそれによつて控訴会社が買受を決意したことを認めると足りるものとはなし難い。

すると、控訴会社が南海不動産との間の本件土地売買の成立に関する被控訴人の仲介行為の成功を故意に妨げたということについては、結局その立証がなかつたものというほかはなく、被控訴人の請求はこの点において失当として排斥を免れない。

そうすると原判決が、本件売買が被控訴人自らの仲介行為により成功したものと認めて被控訴人の請求を一部認容したのは失当であるから右部分はこれを取消して、被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。(宮川種一郎 竹内貞次 平田浩)

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